日々の寄り道

俺の人生のひとりごと集

かんがえる

http://www.youtube.com/user/aoarashi1

黒歴史として葬っていたyoutubeアカウントに久しぶりアップしました。


今回5ヶ月ぶりくらいに曲をアップして思ったのはやっぱり宅録楽しいなということだった。そして前から考えていたことだが、どうも僕の音楽活動は伊藤拓也としての活動とLittle Rippleとしての活動に表現の差が生じてしまう。

僕はライブは弾き語りでやっているが曲によってはアコギ一本で再現するにはピンとこないようなものもある。いつもはアコギ弾いて鼻歌で作ってくんだけど、prismや夕凪は意図的にアコギを弾かないで作った曲だった。
それで久しぶりに上記二曲を聴き直したらなんかアグレッシブでいいなと思ったんです。当時は失敗作ではと思ってたんだけど、ランプを作ったあとに聴くと印象が変わっていた。

それで実は作りかけてやめてしまった曲がひとつあって。それは今までの方向性とまた違う曲でそもそもギターを弾いてないような曲なんです。これを完成させた場合、Little Rippleとしてはしっかり作品として発表できるが、伊藤拓也としては不可能だ。その曲に関してはアコギでアレンジしようがない。全く別の物になってしまう。


まあ僕は宅録に積極的ではないし、ライブも楽しいからなんだかんだどっちもやっていくのかな、とは思うんです。

ただ弾き語りのライブで出来る曲って、どうしても制限が生まれてしまう。宅録は自由に表現できる。この差がどうしても生じるんです。そうするとライブでできるような新曲はどんどん作らなくなってしまうんじゃないか、とか考えちゃうんですよ。

そうするとどうなだろうなって。いっそライブしなくなったら完全に吹っ切れてバンバン実験していけるかな…、とか思ったりもするけど、曲をそもそもそんなに作らないんだろうな。実際ライブを止めたところで発表の場とライブで出会えるつながりがなくなるだけな気がする。それで曲作るペースは今と変わらず、みたいな。


今くらいののんびりライブペースで、もっと宅録に力を入れるっていう形にシフトしていけたらなって思います。